発達障害のある子の「親なきあと」について
どうも、えっちゃんです。
ちょっとヘビーな内容かもしれません。
りたりこ発達ナビという会員制の発達障害ポータルサイトがあります。
その中でこんな記事がありました。
記事の内容についてはリンク先で読んでいただくとして、ここでは感想というか、僕の思ったことを書きます。
そもそも「親なきあと」について考えたことがあるか?
深く考えたことは、正直無いです。僕がまだ30歳だからといってあと50年生きられる保証は無いんですけどね。
病気になるかもしれないし、交通事故等で急にということだってあるかもしれません。
ということでちょっと考えてみる。
息子の生活力について
先日の療育手帳取得時の検査では生活力に関しての知能は2~3歳とのこと。オムツは外せないし、お風呂や寝る時は「パパじゃなきゃ嫌」が口癖。
息子の喋りは時にして独特の言語なので僕の通訳が必要となるのでコミュニケーションを取ることも難しい。
これからの成長度にもよると思いますが、何かしらの介助は必要になるんじゃないかと思います。
ひとり親であるということ
この子には母親がいません。いや、生物学的にゃいるんだけどさ、静岡に。
ひとり親だと、やはり自分に何かがあった時にこの子がどうなるのか深く考えなければいけないですね。
この子にとって、祖父母と暮らすことができるのか、施設の方がいいのか、元嫁のもとという選択肢も考えた方がいいのか。
お金のこと
残念ながらこの子のためのまとまった蓄えは残せていません。
今を生きることに必死っすわ。
20歳になって、手帳の程度が今のB1を維持かそれ以上になっていれば本人は障害基礎年金を貰えるようになるらしいですが、本人が一人で生活ができるような金額じゃありません。
この子が就職をすることができるのか、特別支援学校での訓練でどれだけ伸ばせるのか次第ですね。
結論
死ねないな。
元も子もない答えですが。
死ねないな。
ただそれだけです。
何があっても生きる。
この子を護る。
おわりに
結局何の対策にもなってないですが、精神論ですが、何が何でもこの子を護るためには生きるしかないかなと思います。
突然離婚の申し出をされて、やり甲斐のある仕事を続けることも難しくなって、静岡の卓球仲間とも離れることになって、自暴自棄になりかけたこともありました。
それでもやっぱり息子のことを考えたら、何とかするしかないなって。
僕の昔から考えている信念があって、「人生において無駄なことは何も無い」と考えています。
過去の積み重ねがあるから今がある。
今の自分が存在するのは過去があるから。
だから、「効率のいい生き方」から外れたとしてもそれが向かおうとしているゴールへの遠回りだったとしても、その経験は確実に未来への自分へ影響するはずだと思うんです。
実際、絵も描けない面白い文章も書けない僕が、こうやってブログを書いて、ありがたいことに沢山の方が読んでくれてるというのは凄いことだと思うんです。
「ちょっとだけ特殊な経験」をしてきた・しているからこそ書ける文章をこれからも綴っていければと思います。
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